安倍元総理大臣の暗殺事件以降、新聞・テレビをはじめニュースは統一教会一色だ。犯人の山上徹也容疑者が犯行の動機として統一教会への恨みをあげていることからだが、事件が起きてから一斉に統一教会批判を始めるメディアの姿勢には呆れるしかない。
山上容疑者は動機の一つとして「事件を起こすことで統一教会へ批判が向くようにするため」と述べているようだが、このように社会の変革を目的として暴力を用いるのはれっきとしたテロリズムだ。そして事件後、メディアは山上容疑者の企図した通りに統一教会批判を行っている。
メディアの報道する内容としては、主に統一教会が霊感商法をはじめとした不当な方法で信者から献金を集めている点や、政治との癒着といった点だが、これらの問題は別に今になって判明したものではない。上記のような統一教会の問題性はかねてから言われ続けてきたものだ。統一教会は1980年代後半から社会問題となり、1990年代初頭にはワイドショーでも連日取り上げられていたという。にもかかわらず次第にメディアで統一教会の問題が取り上げられることはなくなり、今回の事件が契機となって再び注目の的となったのだ。
なぜメディアは30年近くにわたって統一教会の問題を取り上げてこなかったのだろうか。あくまで想像だが、おそらくメディアが宗教というデリケートな問題に触れるのをためらったからではないだろうか。もしこれが事実であるとすれば、本来社会の問題をあぶり出して大衆に提起することが役目であるはずのメディアが、厄介事を避けるために問題を見て見ぬふりをしてきたということだ。いつまでも統一教会の問題を無視し続けるよりは良かったのだろうが、結果としてメディアがテロに成果を与えたことになる。
今回の山上容疑者のテロが成功裏に終わってしまったことで、同一のテロ行為が将来行われる可能性を大きく高めたのは間違いない。メディアがこれから山上容疑者のテロを成功へと導いた責任を自省して検証することは果たしてあるのだろうか。