新聞の社会面などには時折、自殺をしようとする人を「救った」ことで警察などから表彰されたことを知らせる記事が掲載される。私はこうした記事を見るたびに違和感を覚えるのだ。自殺をする人というのは別になんの理由もなく死のうとしているわけではない。自殺をしようと考えるほどに追い詰められた何らかの原因がある。しかし、記事はそういった部分については触れず、大半は自殺未遂者ではなく自殺を防いだ「功労者」に焦点を当てる。そしてただ自殺を阻止したことだけを「良いこと」として報じる。
考えてみればこれは全くおかしな話で、自殺に至る原因を無視して一時的に死ぬのを阻止したのではなんの解決にもならないし、むしろそれだけで「良いことしたな、じゃあさよなら」というのでは無責任というものだろう。自殺を阻止した人や、それを称賛するマスメディアは自殺をしようとした人のその原因に対して何かをしてあげたのだろうか?
マスメディアがこうしたニュースを流すのは警察発表をそのまま流しているだけの手抜き仕事という側面もあるのだろうが、マスメディアのみならず日本社会全体に「自殺を阻止する=良いこと」と漠然と考えている側面があると思う。上でも述べたように自殺をする人は何らかの理由があって自殺するのだから、本来はその原因を解決しなければいけないはずだ。
自殺をしようと考える人も決して一番の望みとして死にたくて死のうとするわけではないのだろう。だからといって死にさえしなければそれでいいなどという考えは無責任だ。むしろ「生きているより死んだほうがまし」と考えての自殺なのだから、原因に目を向けず、ただ生きろなどという姿勢は本人の意思を蔑ろにした残酷なものだろう。
日本における自殺の原因はどの年も決まって「健康問題」「経済・生活問題」「家庭問題」がトップ3という状況だ。この中には解決が可能なものもあるだろうが、それが不可能なものもある。病気には治るものもあれば、治らないものもある。ALS患者嘱託殺人の一件のように、この先、病気で苦しみ続けるしかないのなら楽に死なせてほしいと考える人もいるし、これは何もおかしな考えではないと思う。
金銭にまつわる問題に関しても、解決する手段として生活保護という公的制度があるが、実態としてはほとんど機能していない。生活保護を支給するかどうかの判断は市町村が行うが、市町村の中には生活保護を支給することをなるべく阻止しようとするところもある他、生活保護の申請をした人の親族にその人を養うことができないかの確認を行う「扶養照会」というものもある。こうしたハードルがあるために、生活保護を実際に利用するのは簡単なことではない。事実、生活保護を受給する資格がある人の中で、実際に利用しているのは2割程度にすぎないという。
思うに日本社会には「自殺をしようとする人は正常な判断ができない」という偏見があるのではないか。確かにそういうケースも往々にしてあるだろうが、上に挙げたような理由で正常な判断として死を選ぶ人もいるはずだ。そうした区別をすることなく一概に「正常な判断ができない自殺志願者」による自殺を阻止することが、その人を「救う」ことだと考えるのは浅はかだし、なんとも押し付けがましい。少なくとも、どうにもならない理由が原因で、理性的な判断によって死を望む人に対して、その意思を蔑ろにして「生きることは良いこと」などと一方的な価値観を押し付けようとするのは「善い人」のすることではないと思う。
マスメディアは金太郎飴のような何も考えず「自殺を阻止したお手柄」を称える記事を量産するのをやめて、自殺を考える人のその原因にもっと向き合うべきだし、社会の人々も「自殺=悪」「生きる=良いこと」という単純で薄っぺらな道徳観を改めるべきだ。