例えば過激なヴィーガンの主張というのは「動物由来のものを食べるな」というものだろう。これは流石に日本のみならず世界でも反発が大きいようで主流の立場を得られていない。
しかしこれが「動物由来の食品を得る過程で動物に苦しい思いをさせてはいけない」だったらどうだろうか。この主張それ自体に反対という人はそれほど多くないだろう。
しかし、現在の工業的な畜産に動物福祉の概念が持ち込まれ、それが厳格に適用されるようになれば畜産物の価格が高騰するのは間違いない。
私としては、現在の世界的な動物愛護の思想が今のまま影響力を持ち続けることになれば、今後畜産業が動物福祉の観点から規制を受けはじめる可能性はかなり高いのではないかと思う。
さらに何を「動物福祉に反する」と捉えるかの価値観も変わりうることを考えれば、畜産物はいくらでも高価になりうる。
それに加えて現在では牛・豚・鶏と言った従来の食肉に代わってコオロギなどの昆虫食や、動物の細胞を培養することで食肉にする培養肉といったものが現れはじめている。
昆虫食に関しては、日本では一時期これを広めようとするムーブメントがマスメディアなどで巻き起こったが、世間の大きな反発によってすっかり鳴りを潜めてしまった。世界を見てもそれほど昆虫食が広まっていっているようには見えない。
虫を食べることに対する忌避感が大きいことなどを考えると、これからも昆虫が動物の肉に取って代わる可能性はそれほど高くないだろう。
しかし培養肉ならどうだろうか。
現在では培養肉は非常に高価で実用レベルには達していないようだが、これから技術が進歩していけばどうなるかわからない。実際に培養肉は生産の大規模化や技術の進歩によって低価格化が進んでいっているようだ。
また上で述べたような動物福祉に基づく規制によって畜産品の高騰が起これば培養肉との価格が逆転する可能性もある。仮に市場に出回るようになれば、「培養肉があるのだから無理に動物福祉に反する形で畜産を行う必要はない」という考えも出てくることだろう。
おそらくそれによって「動物の肉や卵が食べられなくなる」という極端な事態は起こらないだろうが、動物の肉も食べることができるという選択肢は残りつつも、結果的に高価になった畜産物よりも安価な培養肉を人々はより多く食べるようになるのではないか。
昆虫食ムーブメントとは違い、誰かが狙って一気に社会の変革を図るものではなく、動物愛護思想の拡大と技術の進歩によって徐々に、自然にそうなっていくかもしれない。
個人的にはこれまで食べられてきた動物の肉が高価になり、培養した肉を食べることになるような未来はあまり歓迎したくない。
しかし培養肉に対する忌避感も時代が進むにつれ薄まっていくかもしれない。現在の工業的な畜産も導入されはじめた当初はディストピア的と感じる人もいたかもしれないようにだ。こればかりは避けようがない未来なのかもしれない。