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「学校の防犯対策」は池田小事件の教訓として本当に正しいのか?

池田小事件から今年で20年が経った。メディアはこの事件の教訓としてさかんに学校の防犯対策の重要性を指摘している。しかし学校の防犯対策が不十分だったことだけが池田小事件の原因だったのだろうか。この点について考察したい。

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「学校の防犯対策を強化せよ」という主張はどの程度妥当か?

池田小事件とは

池田小事件は2001年6月8日午前10時過ぎに宅間守元死刑囚(当時37)が大阪教育大学付属池田小学校の開いていた門から校内に侵入し、児童や教員を所持していた出刃包丁で次々と襲い、児童8人を刺殺。児童と教職員15人に重軽傷を負わせた事件である。

事件の現場となった大阪教育大学附属池田小学校

池田小事件を機に学校の防犯対策が強化された

当時は学校に不審者が外部から侵入するという事態は想定されていなかった。そのため事件後には学校の防犯対策の不備が指摘された。国と学校は安全管理の不備を認めて遺族らに謝罪。またこの事件を契機として校門の閉鎖、防犯カメラの設置など学校の安全対策が強化された。これによって学校の防犯能力は以前に比べ向上することとなった。

2014年に群馬県の小学校にナイフを所持した男が侵入した際には、池田小事件を受けて導入された「さすまた」によって教職員が男を取り押さえ、児童に被害が出ることはなかった。また全国で学校への不審者の侵入自体も大幅に減少した。この点から、池田小事件の教訓として学校の防犯対策を強化すべきという主張は確かに間違ってはいない。

学校の防犯対策には限界がある

しかし、学校の防犯対策には限界がある。いくら防犯対策を充実させても学校への侵入を目論む人間を完全に防ぐことは困難だからだ。2019年4月にはお茶の水女子大学附属中学校に50代の男が侵入し、秋篠宮家の悠仁殿下の机にナイフを置くという事件が起きた。同校はすべての門に警備員が配置されており、来校者に記帳と身分証明書の提出を求める等の厳重な警備が敷かれていた。侵入した男は工事業者を装ってフェンスから侵入し、監視カメラの配線を切るなどして教室までたどり着いていた。この一件は、どれほど厳重な警備を敷いても、悪意を持った人間がその気になれば侵入を許してしまうということを示したと言えるだろう。

強化した防犯対策を見直す自治体も

それでも防犯対策を強化すれば校内に侵入される確率自体は下がるだろう。しかし、侵入される確率を下げようと限りなく防犯対策を強化することはコストの面から考えても限界があるはずだ。

実際に自治体の中には池田小事件を受けて強化した防犯対策を見直す議論が起きている所もある。秋田県秋田市では市内の全小学校に警備員を配置しているが、2021年6月の市議会では、秋田市だけが特段治安が悪いわけではないにもかかわらず、県内で唯一警備員を配置していることを疑問視し、これを見直すよう求める質疑があった。これを受けて同市の教育委員会は警備員の配置を見直す可能性を示唆した。

子供を狙った無差別殺傷事件は学校以外でも起きうる

2019年5月には神奈川県川崎市において、スクールバス乗り場で当時51歳の男が登校中の児童と保護者を刺殺するという通り魔事件が起きている。犯人は直後に自殺したため動機は不明だが、恐らくは池田小事件と同じで子供を狙ったものだったのだろう。こうした犯行は当然、学校の防犯対策では防げない。学校以外にも子供が存在しうるあらゆる場所に同じように防犯対策を施すというのも現実的ではないだろう。

通り魔事件の現場

本当に池田小事件は学校の防犯対策の不備だけが原因だったのか?

当たり前の話ではあるが、学校の防犯対策を充実させても学校での被害の防止に効果があるだけだ。そもそも池田小事件は学校で事件が起きたことが問題だったのではなく、大勢の児童が殺されてしまったことが問題だったはずだ。宅間守の犯行目的も子供を殺すことだったのであり、そこが学校かどうかは問題ではなかったはずである。宅間が「門が閉まっていたら犯行を諦めた」と証言したことを理由に学校の防犯対策の重要性を強調する意見もある。しかし仮に門が閉まっていて学校での犯行を諦めたとしても、通学路での犯行や、子供以外を襲った可能性もある。学校の防犯にばかり固執するのは事の本質を見誤ってはいないだろうか。

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目を向けるべきは学校の防犯対策よりも保安処分だ

宅間守の犯罪歴

ここで改めて池田小事件の犯人、宅間守の経歴について見てみる。宅間は池田小事件以前にも数多くの犯罪を行ってきた。幼少期から常に落ち着きがなく、聞き分けのない問題児と見られており、友達をいじめる、周囲に嫌がらせを行うなどしていた。小学生になると猫を新聞紙にくるんで焼き殺すなどの動物虐待、クラスメートへの暴力、万引きなどを行うようになる。中学生になると好きな女子生徒の顔に唾を塗ったり、弁当に自分の精液を入れて、それを知らずに食べるのを喜ぶなどの性的問題行動も起こすようになる。高校生になるとバイクの無免許運転、教師に対する暴力に加え、中学時代の同級生だった女子生徒に対する強姦事件を起こすが、これは立件されなかった。

高校中退後は職を転々としながら数々の犯罪を重ねていった。21歳のときに再び強姦事件を起こし、懲役3年の実刑判決を受ける。このとき宅間は刑を免れようと精神病を装っていた。出所後も強姦、交通トラブルが原因の多数の傷害事件、職場の同僚の食事に薬物を盛るなど公式な記録に残っているだけでも10件以上の犯罪行為に及んだ。

しかし、これらの犯罪のほとんどが不起訴や起訴猶予、最も重いものでも罰金刑で済んでいる。事件として表面化しなかったが、トラック運転手をしていた時期に先行車を煽ったり、すぐ前に割り込んで急ブレーキを踏むなどの危険運転を繰り返していた。その結果、相手が運転を誤り側壁にぶつかって死亡したケースもあったが、これは事故として処理された。精神鑑定中に宅間はこの件に関して、相手が「アホやから死んだ」と笑いながら話したという。

凶悪犯罪を繰り返した宅間はなぜ野放しにされたか?

なぜ宅間は何度も凶悪な犯罪を行いながら、その度に軽微な処分で済み、前代未聞の凶悪事件を起こすまで半ば世に野放しにされていたのだろうか。当時の刑罰そのものの軽さも原因だったのだろうが、それ以外に大きな要因として挙げられるのが我が国における「保安処分」の不備だろう。

保安処分とは犯罪を行う危険性のある者に対して、その犯罪原因を取り除くために行われる措置のことである。欧米では司法が判断する保安処分は一般的だったが、日本では「精神障害者を狙い撃ちにした国家権力による人権侵害」だという日本弁護士連合会や精神科医の学会による反対によって、導入が見送られてきたという経緯がある。同時に議論そのものもタブー視されるようになった。

効果が希薄な措置入院

当時も保安処分に類似する仕組みとして「措置入院」というものがあった。これは自傷他害の恐れがあると判断された精神障害者を都道府県が強制入院させる行政処分である。しかし措置入院における社会復帰の判断は医師だけによって行われ、殺人犯が数ヶ月で退院することもあった。

宅間は池田小事件の2年前に勤務先の同僚4人に薬物の入ったお茶を飲ませた傷害事件を起こしていたが、心神喪失と判断されて不起訴となっていた。その後に措置入院となったが、たった1ヶ月で退院している。

なお生ぬるい医療観察制度

池田小事件の後にこうした措置入院のあり方が問題視され、新たに「医療観察制度」が誕生した。これは重大事件を起こしたものの心神喪失、心身衰弱を理由に不起訴や無罪となった者に対して、裁判官と精神科医が合議して、入院期間や治療終了を判断し、その後の社会復帰をサポートするというものである。

この医療観察制度によって、これまで社会復帰の判断が医師の手にのみ委ねられていた状態から司法が関与できるようになったため、多少状況は改善したと言えるだろう。しかしそれでもまだ問題がある。医療観察制度の対象になるのはもっぱら統合失調症の患者であり、再犯性が高いとされる人格障害者は責任能力が認められるため対象とならない。そもそもこの制度はあくまで対象者の治療と社会復帰の促進という側面が強く、犯罪を未然に防ぐという視点は希薄だ。

現在でも保安処分の不備による事件が起きている

2016年7月に神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人を殺害して死刑判決を受けた植松聖は措置入院からの退院後に犯行を行った。津久井やまゆり園の事件を受けても保安処分は現在に至るまで抜本的な改善が行われていない。

また茨城県堺町で一家四人を殺傷した岡庭由征も16歳のときに通り魔事件を起こしたが、刑事罰を受けず保護処分となり、医療少年院を出所した翌年に犯行に及んでいる。

まずは保安処分に関する議論を始めるべき

池田小事件を受けての報道ではもっぱら学校の防犯対策ばかりが取り上げられる。しかし本当に問題なのは、宅間守のようなこれまで数多の凶悪犯罪を行い、またこれからも行う恐れのあった人物を半ば野放しにしてきた社会の在り方なのではないだろうか。確かに保安処分は人権侵害の度合いが強いものではある。しかし凶悪犯罪者が野放しにされていなければ防げた犯罪、またこれから防げる犯罪は決して少なくないだろう。

メディアにおいてことさら学校の防犯対策が叫ばれるのは、保安処分の議論がタブー視されていることの裏返しのようにも思える。まずはタブーとなっている保安処分の議論を活発に行なっていくことが池田小事件の反省の第一歩であろう。

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参考資料

1.池田小事件20年 学校の安全を再確認したい,読売新聞オンライン,https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20210609-OYT1T50317/

2.小学校に警備員「必要?」 市議会で議論、見直し含め検討へ,河北新報オンラインニュース,https://kahoku.news/articles/20210616khn000008.html

3.セキュリティーは万能か 後絶たぬ侵入事案,産経ニュース,https://www.sankei.com/article/20210607-FA2K4HR7NBIEDK7YL2JUXY45KA/

4.医療観察制度 司法と精神医療の連携進む 見直し論も,産経ニュース,https://www.sankei.com/article/20210608-VSBBV3OTNFKVDOFFW5BXSLUFYA/

5.真の保安処分を論じない戦後日本の欺瞞,産経ニュース,https://www.sankei.com/article/20210607-CO5MJXWZ2ZMU3JVYIVH7JWQAZ4/

6.池田小事件20年 反省が生かされていない,産経ニュース,https://www.sankei.com/article/20210607-PT43OFRWXRNN5ERLBXOHFGWW4A/

7.原田隆之(2015)『入門 犯罪心理学』筑摩書房

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